歴史
西陣『金襴織物』ができるまで
京都の絹織物の歴史は古く、遠く古墳時代に始またったとされています。
大陸から養蚕・絹織物の技術が伝わり、その後、奈良・平安時代を経て、職工たちの町、『織部町』としての形を作っていきました。そして、官営から民営へと移り、室町時代に起こった数々の戦のために土地を離れていた職工たちが、応仁の乱以降、西の陣のあった場所に、再び戻り、織物業を再開したことから、『西陣織』の名前が付けられたと言われています。
元々は、質素な物でしたが、徐々に高僧の権力を誇示するため、或いは、将軍・武家に許された享楽のため、又は、茶道の世界の高貴性を表すために、金糸を織り込むなど華美な物になっていきました。そして、袈裟・能衣装・表装地・高級人形衣装の素材として用いられるようになりました。
糸から織物になるまで制作過程は、非常に複雑で、糸一本を取ってみても、原糸から、撚糸、染め、整経、経継ぎ、緯巻きに至るまで、数種の工程を経て初めて織物にできる糸が完成するのです。
さらに、糸から織物に仕上げる迄の工程は、20を超え、その一つ一つの工程に、熟練した職人の技と経験が必要となるのです。
一般的には、金糸を織り込んだ織物を『金襴織物』を呼びますが、西陣では、金を使わないものも含めて、『金襴』と呼んでおり、又、和紙に金箔を張り、糸のように細く裁断して使う純金製のものや、プラチナ製のものもあります。
弊社直営の工場では、これらの糸を使い、常時勤続20~30年の熟練工が、作品を作り上げています。
一つの作品を完成させるには、実に経糸5,000~7,000本、そして、横糸は、約3cmの中に最低50~60本、色糸が一色加わるごとに、その数は、2倍、3倍、4倍必要となっていきます。
その糸一本一本を熟練工が、確かな技術と経験で織り上げていくのです。特に絹糸は非常に細いため、傷めないよう、抜けないよう、最大の注意を払いながら織っていくのです。
これら技術の結晶を、是非手に取って確かめていただきたいと思います。
額入り金襴「鳳凰と華」(奈良)
日本の伝統工芸品である「金襴織物」。
金襴とは金糸を織り込んだ、絹織物です。
金糸はとても細く繊細なため、京都西陣織の熟練工が糸を痛めないよう、抜けないよう、細心の注意をはらないながら手織りで織り上げていきます。
出来上がる「金襴織物」はきらびやかで、お部屋やお店を飾るにふさわしい高級感あふれるインテリアです。
特に、主な柄の『鳳凰』は、平和な世の中にしか現れない、縁起の良い鳥とされていて、日本でも、平等院鳳凰堂・金閣寺の屋根の装飾・一万円札の裏の模様に見ることができます。
また、金襴織物の『金色』は、風水的にも、成功の象徴とみられ、才能を開花させるパワーや、前進する原動力になるとも言われています。
ご自宅にはもちろんのこと、開店祝いや、お店やレストランなど、絵画とはちょっと違ったインテリアがほしい方に、お勧めです。
「鳳凰と華」正面
額のアップ
生地のアップ
「金襴織物は」法衣・人形衣装・表装地として使用されていましたが、国内外の方に、その美しさを知っていただきたく、身近なインテリアとして、提供させていただくことにしました。
ぜひ、手に取って確かめていただきたい逸品です。